2019.12.20の日経ビジネスより引用「小田嶋 隆氏のコラム」に100%賛成!本当に非道い話である。

「うそつき」をめぐる奇天烈な話

コラムニスト
2019年12月20日
 性的暴行を受けたとして、ジャーナリストの伊藤詩織さんが元TBSワシントン支局長の山口敬之氏に1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は18日、山口氏に慰謝料など330万円の支払いを命じた。
 記事を読む限り、裁判所は伊藤さんの側の主張をほぼ全面的に認めている。
 一方、山口氏は「伊藤さんに名誉を棄損され、社会的信頼を失った」などとして1億3000万円の損害賠償や謝罪広告を求めて反訴していたが、棄却された。判決では「(伊藤さんが)自らの体験を明らかにし、広く社会で議論をすることが性犯罪の被害者をとりまく法的、社会状況の改善につながるとして公益目的で公表したことが認められる。公表した内容も真実である」としている。
 判決のこの部分には、万感がこもっている。
 いや、裁判官が判決文の中のカギカッコで囲われた部分を書くに当たって、万感をこめていたのかどうかは、正直なところ、わからない。
 ただ、この部分の文言を読んで、万感胸に迫る思いを抱くに至った人々は少なくないはずだ。私もその一人だ。というのも、この一文は、個々の単語の意味を超える歴史的な意味を持っているからだ。いずれにせよ、この一文は、性被害に苦しむ女性のみならず、様々な困難に直面している様々な立場の人々に勇気を与える得難いセンテンスだと思う。東京地裁の英断と勇気に感謝したい。
 勝訴という結果もさることながら、この数年間、伊藤さんが、自身の被害を明らかにしつつ、書籍を出版し、メディアの取材に答え、訴訟を起こすことで性犯罪者を告発してきた活動を、裁判所が「公益目的」と定義し、さらに、その彼女の自身の身を晒した命がけの主張を「真実」として認定したことの意義も、声を大にして評価しなければならない。
 地裁の判決は、最終的な結果ではないし、争いはこれからも続くわけなのだが、とにかく、長い道のりの中の最初の難局面を、祝福の声を浴びながら越えることができたことの意味は小さくない。
 判決を受けて、山口氏は、公開で会見を開いている。
 というよりも、山口氏と彼を支援する人々は、判決を待ち構えて、ライブ配信の体制を整えていたわけだ。
 その動画は、現在でも録画放送のYouTube動画としてインターネット上で視聴することができる。
 私は、会見の当日、外出していたため、ライブ配信の会見動画は見ていないのだが、そのハイライト部分は、テレビのニュース番組でも紹介されている。
 18日の夜、私は、テレビニュースの画面をキャプチャーした@kishaburaku氏のツイートに、以下のようなコメントを付加したリツイート(RT)を投稿した。
 《えーと、これはつまり、「本当に性被害に遭った女性は、笑顔や表情の豊かさを失っていて、人前にも出られないはずだ。してみると、事件後、テレビに出る勇気を示し、時には笑顔を見せることさえある詩織さんは、性被害に遭った女性とはいえない」という理屈なのか? 加害者がこれを言うのか?》
 しばらくして、自分のRTへのリプライとして、以下のツイートを発信した。
 《「水に沈めて浮いてきたら魔女確定。無実なのは沈んだまま浮いてこなかった女だけ」みたいな話だぞこれ。》
 おどろくべきことに、私の最初のRTは、現時点ですでに2.7万回以上RTされ、4.7万件以上の「いいね」を集めている。
 RTに付加したリプライのツイートも、6800回のRTと1.4万件の「いいね」を稼ぎ出している。
 RTや「いいね」をクリックしてくれた人々のすべてが、賛同の気持ちでマウスのボタンを押したのではないにせよ、山口氏の言葉としてテレビ画面のテロップに引用された文言が、ツイッター世界を漂っている人々の間に、強烈な反応を呼び起こしたことは間違いない。
 そこで今回は、性犯罪を見つめるわれら日本人の視線の変化について考えてみるつもりでいる。
 個人的には、今回の一連のなりゆきは、令和の日本人が、性被害や「合意のない性行為」一般について、どんな感慨を抱いているのかを観察するうえで、好適な材料を提供してくれていると思っている。
 21世紀の日本人は、性被害をもたらす加害者にはとても厳しい。
 それだけ、性的に潔癖な人々になりつつあるということなのだろう。
 良いことなのか悪いことなのかはともかく、これは、令和の日本人の著しい特徴だと思う。
 私個人は、今回の反響に、まず、驚いている。
 驚いている以上に、安堵もしている。
 理由は、多くの日本人が、私が事前に考えていたより、はるかに公正であたたかい反応を示しているからだ。
 「日本人」という言い方は、あるいは一方的過ぎるかもしれない。
 私のツイートに反応している人々の多くは、つまるところ私のツイッターアカウントをフォローしているフォロワーか、それに近い人々で、ということは、それなりに偏った集合だ。とすれば、自分のアカウントに寄せられた声を材料に、やれ「日本人」がどうしたみたいな言説を展開するのは、それこそ最近はやりの言い方で言う「主語がデカい」話だということになる。
 ただ、私のツイッターアカウントにリプライを寄せる人々が、私の支持者ばかりなのかというと、それは違う。
 普段の話をするなら、基本的にはアンチの方が多い。
 つまり、オダジマにわざわざ話しかけてくるアカウントの多数派は、実のところ、オダジマのファンや取り巻きや支持者ではなくて、むしろ、オダジマの意見に反対だったり、オダジマを攻撃する意図を持っていたり、オダジマを冷笑せんとしていたりする人々によって占められているということだ。
 その、ふだんの私のタイムラインの景色から比べると、今回は、ざっと見て、寄せられてきているリプライの9割以上が、私のツイートへの賛同ないしは同意を表明する人々で占められている。
 ということは、山口氏とそのお仲間は、今回に限っては、世間の風を見誤ったと見てよかろう。
 これまで、モリカケ関連でも腐れ花見界隈でも、私が官邸周辺に蝟集している人々と異なる見解をツイートするや、即座に罵倒や反論が殺到するのが通例だった。とにかく、百田某であるとか、小川榮太郎氏であるとか、月刊Hanada周辺であるとかいった人々が異口同音に繰り返している主張に少しでも異を唱えようものなら、オダジマは、毎度毎度火だるまになっていたのである。
 それが、今回は、300件以上寄せられてきているリプライのほとんどすべてが、山口氏の発言への違和感を表明した私のコメントを支持している。
 それにしても、山口氏はいったい何を考えてあんな言葉を発したのだろうと思って、彼の真意を確認するために、1時間半ほどの会見映像を一通り視聴してみた。
 とてもつらかった。私は、1時間半の動画視聴に耐えられない人間に仕上がりつつある。このことが今回、あらためて判明した。
 視聴の結果をお知らせする。
 ……率直なところを申し上げるに、私は、会見の動画を見て、完全に毒気を抜かれてしまった。より実態に即した言い方をするなら、心底からうんざりしたのだね、私は。暮れも押し迫っているこの時期に、これほどまでに卑劣な言葉をこんなにもたくさん聞かされた結果として。であるからして、
 「こんな人たちの相手はたくさんだ」
 という自分の気持ちに正直に従うなら、私は現時点で、すでに作業を投げ出しているはずなのだ。
 でも、伊藤さんのために、ここは一番、心を鬼にして頑張らないといけない。そう思って歯を食いしばっている。
 なので、ここから先のしばらくの間、私は、公園の便器に手を突っ込むみたいな悲壮な気持ちで、資料を書き起こすつもりでいる。
 伊藤さんは、私がいま耐えている不快感と比べて、おそらく数百倍もキツい精神的な重圧と闘いながら、この何年間かを過ごしてきたはずだ。それを思えば、60歳を過ぎたすれっからしの前期高齢者である私が、この程度のことで上品ぶって仕事を投げ出すわけにはいかない。
 開始から48分10秒ほどのところで、「日本平和学研究所」の「タイラ」氏という女性が、性被害に遭った複数の女性から聴いた話として、以下のような証言をする。ちなみに、この「日本平和学研究所」というのは、この日の会見を仕切っていた小川榮太郎氏が主宰する組織だ。小川氏については、各自自己責任で検索してください。私は説明したくないです。
 タイラ氏の発言はおおよそ以下の通り。耳で聴いた通りに、なるべく忠実に再現しました。細かい聞き逃しはご容赦ください。
  1. みなさん最初は、同じ性被害に遭った女性として、伊藤さんに深く同情し、応援していた。
  2. ところが、性被害にあった女性たちは、記者会見や海外メディアからのインタビューに応じて、実際に動いてしゃべる伊藤さんの姿を見て、強い違和感を覚えるようになった。
  3. 私も伊藤さんの映像を見たが、被害者たちからすると人前であんなに堂々と時に笑顔もまじえながら自分の被害を語る姿はとても信じられないということだった。
  4. 話をうかがった性被害者の中には、(被害から)10年以上たっているにもかかわらず、いまだにPTSDに悩まされていて社会生活が困難な方ですとか、(性被害を)連想させるような固有名詞を見たり聴いたりするだけで、強いめまいを覚えたり嘔吐してしまうとか、ご自身の体験を人に話している間に気を失ってしまった体験を持つ方などがいらっしゃいました。
  5. そういった彼女たちの立場から見て、伊藤さんの言動というのは、とても自分と同じような痛みや恐怖をかかえているとは見受けられない。
  6. しかもそれ(←人前で話すこと?)が、一度や二度ではなくて、世界中のメディアや様々な企画で活躍されているのを見て、唖然として、そして確信したといいます。伊藤さんはうそをついていると。みなさんそうおっしゃいました。
  7. 私(←タイラ氏)に性被害を語ってくださった人たちをなんとか支えたいと思って、力になる旨を伝えた。ところが、みなさん、伊藤さんが名乗り出てしまったことで、自分たちはもう名乗り出ることができなくなってしまったと言いました。
  8. また、この判決でなおさらそうなるのかなと思うんですが、今から名乗り出ても、どうせ自分が伊藤さんと同じうそつきと思われて、誹謗中傷の的にされるに違いない、と、第2第3の伊藤詩織だと思われたら困ると、だからもう名乗り出るのはこわくなってしまったと、言ってました。
  9. 伊藤さんは、被害者Aでなく、私だといって顔と名前を出すことが重要だと言った。私もその考えはすばらしいと思う。ですが、私がお会いした性被害者の方々は、伊藤さんが名乗り出たことで名乗り出られなくなったと言った。これはつまり、性被害者という立ち位置を、伊藤さんに独占されてしまって、そこに自分たちが近づくことができなくなってしまった。あるいはそこで自分が手を挙げたら、自分に危険が及ぶかもしれない、誹謗中傷されるかもしれない、と、そういうふうになってしまったということです。
  10. それが伊藤さんの本意でなかったとしても、この一連の出来事というのは、多くの性被害者の、多くの傷ついた女性たちの、本物の過去や(涙ぐんで3秒ほど絶句)本物の人生を……奪い去ってしまった……そういう結果になってしまったのではないでしょうか。
  11. 私は彼女たちの話を聴いて、はやく彼女たち自身の手に彼女たちの人生を返してあげたいと思うようになりました。これまでどんなにつらい思いをして、いまそれを乗り越えようと……して、努力をして、もう、もう一歩踏み出そうとしている時に、こんなふうに、その気持ちを踏みにじられてしまって、こんなことがあっていいのだろうかと、同じ女性として、こんなに不憫なことはないと思います。私のような非力な存在では、なにもできないかもしれませんが、どうか彼女たちの希望をかなえてあげられる日が来るように、一人でも多くの方に力を貸していただきたいと願っています。
 通読していただければおわかりになる通り、タイラ氏は、名前も属性も年齢も何一つ明らかにしていない「匿名の性被害者たちの言葉」をもとに、伊藤さんの証言を「うそ」だと決めつけている。
 しかも、その根拠は、
 「性被害に遭った女性は、人前に出られないはずだ」
 「堂々と海外のメディアに自分の性被害を語れるのはおかしい」
 といった調子の、およそファクトでもエビデンスでもない「観測」に過ぎない。
 百歩譲って申し上げるなら、性被害に遭った女性が、PTSDを患うことや、他人の前で自身の性被害を語ることに強い抵抗を覚えること自体は大いにあり得る話ではある。特定の固有名詞や言葉に強い目まいを覚える人もあるだろうし、証言の中にあったように、話しているうちに失神してしまう女性だって本当にいるのかもしれない。
 私はそこを疑っているのではない。実際に、女性(あるいは男性であっても)が意に沿わない性行為を強要されることは、死に等しい苦痛を伴う経験であるのだろうし、その苦痛を克服するのは、想像を絶する困難を伴う作業であるのだろうとも思っている。
 私が疑いを抱いているのは、彼女が引用している「本物の性被害者」たちが、伊藤さんが堂々としていることや、笑顔を見せていることを理由に、彼女を「本物の性被害者ではない」と判断したその経緯だ。
 そんなバカなことが本当にあるものなのだろうか。
 「本物の性被害者」は、それほどまでに視野の狭い人たちになりおおせてしまうというのか?
 そんなバカな話が21世紀の世界で通用するはずがないではないか。
 バカにするのもいい加減にしてほしい。
 思うに、
 「本物の性被害者たちは、伊藤さんを本物の性被害者として認めない」
 という、このどうにも卑劣極まりない立論は、その構造の中で、「性被害者」を極限まで貶めている。
 というのも、この理屈を敷衍すると、性被害者は、自分自身が性被害から一生涯立ち直れないことを自らに向けて宣言していることになるからだ。
 「性被害から立ち直るために歩みはじめている女性は、本物の性被害者ではない」
 と、他人に向けてその言葉を投げつけた瞬間に、その言葉を発した彼女もまた、自分が一生涯立ち直れない呪いを自らに向けて発動することになる。こんなべらぼうな話があるだろうか。
 ということはつまり、一度でも性被害を経験した女性は、告発はおろか、笑うことも上を向くこともできないというお話になる。
 仮に、日本平和学研究所のスタッフなり、タイラ氏という女性なりが、幾人かの性被害者に取材したことが事実だったのだとして、その取材対象たる彼女たちは、自分と同じ性犯罪の犠牲者である伊藤さんが、敢然と自らの苦境に立ち向かっている姿を見て、本当に「このヒトの苦痛は本物ではない」「このヒトはうそをついている」と考えた(あるいは「証言した」)のだろうか。
 人間というのは、そこまでねじ曲がった考えに至ることがあるものなのだろうか。
 これが、作り話でないのだとすると、
 「性被害者は、あまりにも強い苦しみのためか、心が歪んでしまって、自分以外の性被害者に対して真摯な共感を寄せることのできない、どうにも狭量な根性を獲得するに至る人」
 てな話になってしまう。
 こんなに女性をバカにした話があるだろうか。
 もう一つ。仮に
 「多くの性被害者は自らの性被害を告発する気持ちになれない」
 「多くの性被害者は自然に笑うことができなくなる」
 「多くの性被害者が人前で堂々と振る舞うことができない」
 という3つの命題が3つとも真あるのだとしても、だからといって、そのことは
 「性被害を告発する女性は本当の性被害者ではない」
 「自然な笑顔で笑うことができる女性は性被害者ではない」
 「人前で堂々と振る舞うことができている女性は性被害者ではない」
 ということを証明したりはしない。それとこれとは話が別だ。
 逆は必ずしも真ではないし、このケースで言えば、まるっきり的外れだ。
 仮に、「性被害を告発する人間は性被害者ではない」などというお話が本当だということになったら、この世界には性被害として認定される犯罪が一つも存在しないことになる。そんな奇天烈な話だあってたまるものかというのだ。
 普通に考えれば、性犯罪の被害に苦しんでいる性被害者は、伊藤さんの強さと勇気に感嘆し、その彼女のまっすぐに伸びた背筋に希望を感じるはずだ。そうでなければおかしい。
 とはいえ、私が、現実に日本平和学研究所に集った性被害者から話を聴いたわけではない以上、このうえ断定的なことは言えない。
 なので、ここから先の話には踏み込まない。
 私個人としては、この場では、タイラ氏という女性が会見の場で持ち出した匿名の性犯罪被害者のみなさんの証言を、そのまま鵜呑みにすることはできないということを申し上げておくにとどめる。
 山口氏の証言は、前段のタイラ氏の証言を核心部分をなぞるカタチのものだ。
 動画では、1時間5分24秒あたりからの1分ほどがそれに当たる。
  1. 伊藤さんは性犯罪被害者ではありません。
  2. 伊藤さんのように必要のないうそ、それから本質的なうそをつく人が、性犯罪被害者だと言って、うその主張で出てきたことによって、さっきタイラさんの話にもありましたが、私のところにも、性犯罪の本当の性被害者であると言って出てきたことによって……(以下やや混乱しているので省略します)
  3. 本当に性被害に遭った方は、伊藤さんが本当のことを言っていない……それから、たとえば、こういう記者会見の場で笑ったり、上を見たり、テレビに出演してあのような表情をすることは、絶対にないと証言してくださった。
  4. 本当の性被害に遭った「#Me Too」の方が、うそつきだと言われるといって、出られなくなっているのだとすれば、これは残念なことだなあ、と。
 あえて感想を述べるなら、「論外」の二文字に尽きる。
 もっと強い言葉を使っても良いのだが、その必要はないと思っている。
 ご本人の言葉を聴いてもらえれば、私が付け加えるべきことは何もない。
 最後に、判決について感想を述べておく。裁判所が、判決文の中で、ダメを押すカタチの言い方で伊藤さんの告発の真実性に太鼓判を押してみせたのは、このケースが、刑事で不起訴になっていることを踏まえた上での判断だと思う。
 というのも、「週刊新潮」などが、すでに何度か報じている通り、今回、東京地裁が判決を下したケースは、実は、2015年の4月に伊藤さん本人によって告訴状が出されていた刑事事件でもあったからだ。
 伊藤さんによる告訴状は、2015年の5月30日に警視庁の高輪署が受理し、16年の6月8日には、東京地裁が逮捕状を発行している。
 ところが、この逮捕状は執行されなかった。
 以下、この件を詳しく報じている「ビジネスジャーナル」12月18日配信の記事から引用する。
 《なお、高輪署が逮捕しなかったことについて、「週刊新潮」(新潮社)は2017年5月25日号で、高輪署員が成田空港で帰国する山口氏を待ち受けていたところ、当時の警視庁刑事部長だった中村格氏(現・警察庁長官官房長)が「本件は本庁で預かる」と主張したため、逮捕が取りやめになったと報じている。
 同年7月22日、東京地検は山口氏の準強姦被疑事件を嫌疑不十分で不起訴処分とした。以降、伊藤氏は検察審査会に不服申し立てを行ったが、ここでも不起訴処分相当となり、伊藤さんは民事訴訟を起こした。》
 つまり、伊藤さんが、今回、民事で損害賠償を求める訴訟を起こしたこと自体が、逮捕状が執行されず、刑事での告訴が不起訴に終わったことを受けての「最後の手段」だったということだ。
 ちなみに、成田空港で待機していた高輪署の警察官たちの行動をおさえて、逮捕直前に逮捕状の執行を阻止した責任者である中村格警視庁刑事部長(当時)は、一部で「官邸の番犬」と呼ばれるほど総理周辺と関係が深い警察官僚であったと言われているようだ。
 山口氏は、「総理」(幻冬舎2016年)、「暗闘」(幻冬舎2017年)といった、いわゆる「安倍晋三本」の著者であり、2016年当時は、安倍晋三首相に最も近いジャーナリストとして知られていた人物だ。
 それゆえ、2016年の時点で決断された山口氏の逮捕の中止が、官邸の意を受けた措置ないしは、総理の意向を忖度した結果だったという見方は、いまだに消えていない。
 ともあれ、山口氏は、世間の空気を読みそこねた。
 原因はご自身が閉鎖環境の中で暮らしていたからだと思う。つまり、山口氏はあまりにも自分と似た考え方の仲間に囲まれて暮らしていたがために、自分の考えの異常さに気づくことができなかった。
 お仲間たちも、せっかく擁護のためにセッティングした記者会見の中で本人が持ち出す論陣の非常識さを事前にチェックすることができなかった。
 私が憂慮しているのは、
 「性犯罪被害者は、性犯罪加害者を告発できない」
 という、性犯罪加害者にとってあまりにも魅力的に聞こえるこの背理を、異常だと思わないとんでもない人々のお仲間が、日本の中枢に座を占めていることだ。
「抑圧の中で生まれ育った国民は、抑圧に抵抗することができない」
 ありそうな話ではある。
 本当のところ、「本当の性被害者」が伊藤さんをうそつきと断定していたことが、本当の話だったのだとすると、私たちの中の多数派は、抑圧に対して立ち上がる人間をうそつきと呼ぶかもしれない。
(文・イラスト/小田嶋 隆)

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