田原総一朗さん、映画「新聞記者」について語る。

菅官房長官に質問を繰り返した東京新聞望月記者に聞いた、あのこと

『新聞記者』という映画が、話題になっている。僕も思わず、「おもしろい!」「よくぞ作った!」と拍手を送った。たいへんリアリティがある映画だったのだ。原案は同名のノンフィクション。著者は東京新聞記者の望月衣塑子さんである。日本の政治とメディアの問題が、浮き彫りになっている。
先日、その望月さんと対談をした。望月さんは、菅義偉官房長官の記者会見で、加計問題などについて質問を重ねたことで話題になった。望月さん自身、とうてい納得がいかなかったからだ。ところが、これに対して菅さんから、「同じ趣旨の質問は繰り返さないように」と注意された。さらに首相官邸報道室は、東京新聞に対し書面で抗議した。「未確定な事実や、単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」というのだ。
なんという暴挙だろう。民主主義の基本は、表現、言論の自由である。記者が納得できなければ、何度でも質問し、納得がいくまで答えるのが政治家の役目ではないのか。それを、権力側が新聞社に文句を言うなんて、とても考えられないことだ。
望月さん自身は、「(菅さんが一度答えれば)会見の空気はそれでおとなしくなるが、私は菅さんが『きちんと答えていない』と思ったので、繰り返し訊ねた。社会部では当たり前のことです」と語っている。
これは、僕もまったく同意見だ。人間というのは、1度の質問はごまかせても、繰り返されると、本音が出ることが往々にしてあるのだ。
ここで少し解説を加えると、通常官房長官の記者会見にいるのは、政治部記者だ。望月さんのような社会部の記者はあまりいない。実は、政治部の人間は、政府と「友好的」な関係にある。そうでないと、政府から情報を取れなくなってしまうからだ。だから会見の場にいた記者たちは、菅官房長官に鋭く突っ込めない。
この件について、僕は怒りを禁じえない。政府が記者の質問に「抗議する」という暴挙に対して、記者クラブは知らんぷりを決め込んだのだ。たとえば、この一件も、その経緯を知らない方が多いのではないか。メディアがほとんど報じないからだ。
本当なら記者クラブが抗議し、「これから菅官房長官には、一切、質問をしない」くらいの行動を取るべきだったと僕は思う。波風を立て、ときには炎上する、それはジャーナリストとして当然のことだ。
望月さんは、このような日本のメディアの体質について、「日本人は争いを好まないし、忖度もする。それは、いい点でもあるのです。けれど、米中覇権争いが起き、世界中が軍拡に向かうなど、いま社会が大きく変化するなかで、おかしいと思ったときに声をあげないと、日本は悪いほうに流れていってしまう」と語っていた。
まさに「声を上げる」望月さんに、僕はとても期待している。そして、「新聞記者」という映画が、参院選前に公開されたことに、日本の希望を見る。ぜひ、ご覧になっていただきたい。

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